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復活のセレナーデ

イエス様の復活・・・私の復活。 私の復活・・・ピアニストとしての復活。

御心というのは、神さまの意思。これに人はすんなり合うときと、ずれてすごすときがある。

   御心と合う=すっきりして、力がでる、感動する、希望・ビジョンが湧く、愛が湧く 
⇔ 御心に合わない=やっててなんだか気持ち悪い、力が出ない、複雑になる、頭で悩む、後で後悔する

こんな感覚に陥ります。

ようは、人生、神様に乗るか反るかのどっちかだ。

2つの道しかない。乗ってるか、反ってるか。しっくりこないなら、反ってるってこと。
その体験談の例を2つ、最近の私。



1.神の座

筋肉の下宿には、グランドピアノが下にあることは前に紹介したが(いいでしょ)、もうひとつすばらしい場所があった。
部屋の隅に、床の間なるものがある(1LDKなのに珍しく)。
畳の部屋の脇で、1畳ほど床になっているというもの。

なにもわからない筋肉は、そこに、「これはジャストサイズ!!」と思って、電子ピアノを設置していた。


が・・・


これは神様の御心でなかった。       どうしてわかるかって?


実は、この電子ピアノ、 何時に弾いても、どう弾いても、なぜか弾くたびに、横から
「ドコーン!」と壁を叩かれる、つまり隣の人から苦情を出されてしまった。
「神さま、こんなに静かにサイレントでやってるんだから、怒られないようにしてください」と祈っても、「ドコーン!」と殴られ続ける。 こんなことが4度ほど続き、こりゃもうまずいな、弾けんと凹みました。

そんな中、ある日の御言葉で、「先生は、どこに行ってもまず、その場所で祈りにふさわしい場所を見つけ、祈りの場所を作る」 という話が出ました。

あ!!そうか。 
俺は荒らす憎むべきものを置いていたのか!

この↑のコメントでわかる人は、聖書を知っている人。
つまり。 電子ピアノを置いている、この場所は、祈るべき場所だったんだ!と気づけました。
そして、こうなりました。
kamiza
このようにして、ここで祈りの祭壇をささげるようになり、なんだかすっきりするようになりました!さらに!床の間から移動した電子ピアノは24時間弾いても怒られなくなったのです。振動が伝わらなくなったのでしょう。
御心を知る、わかるってほんと大事だなって感じました。逆に、逆らってると、ほんとうまくいかないや。


2.前衛音楽

最近伝道集会なるもので、ピアノを弾くことができました。頼まれたのも割と直前だったのですが、感謝して引き受けました。「こりゃ、肉より霊で準備するしかない」と、イエス様に焦点をあてて、祈りの生活に入りました。そして、本番の数日前になって、なんと!
師匠がピアノの話をしてくれました★なんてはっぴーな私。
そこで言われていたこと。
1.心の思うままに演奏するときに、その人の作品がうまれる。人を意識するな。登山するときもとなりの人を意識したら自分の足を踏み外して落ちるように、ピアノの演奏もそうだ。
2.先生は前衛音楽が得意です。とにかく自由に弾きます。

1は自分の心を溶くものでした。2を聞いたとき、「へっ?」と耳を疑いました。
「ゼンエイ音楽?」
思わず、辞書でひきました。
前衛音楽とは・・・ 
かつて音楽に常に新しいものを生み出しているとき、今までの概念に捉われない音楽を生み出すことを前衛音楽と言っていた。今はこの概念自体がほとんどないため、使われていない

なるほど。ミョンソク先生はたしかに、人を意識しないため、自由な姿をいつも見せてくださる。

そこで、今回自分にも、霊感がきました。『復活を表わすこの瞬間で、立ち上がろう!!』
人生で初めて、クラシック音楽で、立ち上がって演奏する、という必殺技を使いました。

昔の自分では到底こんなことは人を意識してできなかったし、むしろクラシックを弾く上で、アイデアとして浮かびもしなかった。
演奏として復活したかどうかはわからないけど、自分の中でふっきれることができた、ステキな1日でした。






その時その瞬間その刹那

「ザ・日常」シリーズ。

皆さんは生活の中で、テンパることがあるでしょうか。 僕はよくありマッスル。
そんな時、あなたの心は次のどれにあてはまりますか?

1.自分で自分を治める人

2.アク霊に治められる人

3.主に治めてもらう人


はい、答えは・・・・・・・・・・・あなたもきっとわからないでしょう。3番の人以外は。
これは師匠に聞かれた問題です。この3つしか選択肢はないんだ、とおっしゃいました。
3番でなければ、1番か2番です。他は自分で自分を治める、実はこれはほとんどできません。
できていると思っても、できてなくて、でも理由がわからないんです。アク霊?ほよ?

「いや、おれは当然治めることできるよ」 という人がいたら、昔の自分と似ているので、コメントぜひください。


さて、先日バレーボールをしました。試合でした。
いい試合をしていました。   ところが。

セッターのやつが調子わるい。御言葉をすこし聞いてるやつだが、やけにボールに力が
入っている。コントロールも精度がいつものようにいってない。1試合目でもなく、これから、という途中だというのに。
しかし本人はバリバリの経験者。調子も特に悪いと思ってない。まわりには迷惑をかけると
思い、あせりもでてきただろう。徐々に苦悩の表情も垣間見えはじめた。
このように、どんなに肉体を磨いていても、深層の心を自分でも捉えられないことがある。
技術は磨けばつくが、心には違う要因がある。

その瞬間、私に天のささやきがあった。

「伝えなきゃ」 いそいで、そいつのところに行き、天の一言がいえた。

「ゆだねて」

その後、彼はすぐに表情が変わり、ボールも変わった。天の一言はここまで人に力があるのか。

彼は御言葉を習っていたから、この一言の意味がわかった。

自分で責任の重荷を背負うのではなく、主にお願いする

彼は沢山練習してきたとおり、本来の力を発揮するようになり、どんどんTEN(点、天)をGETするようになった。
この経験は彼に「ゆだねる」その時、その瞬間、を教えてくれました。

仲間や信頼できる先輩、親などにゆだねる、といっても、このバレーのように、誰も共にしない孤独な戦いになるときが人には必ずあります。
神様やイエス様はどんな個人戦であっても、共にしてみています。神様、そして王の王である、主にゆだねるとき、上司も敵もマスコミも人前も、なにも恐れるものがありません。
プレゼンの瞬間、試合の瞬間、人に詰め寄られた瞬間、すべての瞬間。
そのときに何を考えるか、それが刹那的にすべてを決めていきます。

僕のテンパる時の心は、3番で解決する場面が増えました。だから、このバレーのときだけでなく、読んでるあなたにも、「YUDANETE」 を心から言いたい。  

「ゆだねて」  BY筋肉



神の通う会社!?

神・・・さま・・・・がうちの会社にいるようです。

1.上司とのやりとり
以下、先輩の●●さんからメールが来ました。


筋肉さん

●●です。
セミナー参加者の方に配付する地図データを作成したのでお送りします。
・配付地図-1(概略地図)
・配付地図-2(詳細図)
神ベースのものは筋肉さんの机の上においておきますので、確認をお願いします。」

・・・あれ、神ベース!? いらしてたの? あざーす。


2.通勤経路

うちから会社までは、まっすぐ一直線です。自分がこの道を通うようになってすこし
して、ふと気づくようになりました。
「あれ、よく考えたら、この道だけどんどん舗装工事されてる!」

kouji.jpg

客観的に考えると、違和感があります。 →→→ 主観的に見ると、神様はやさしい〜

皆さんの会社や学校にも通ってるかもしれません

神様、厳しい環境なら厳しい環境なりに、豊かな環境なら豊かな環境なりに
働いてくださいます。

最初のメールも、2つ目の道も、自分ではあまり気づいていませんでした。
しかしメールはCCの入っていた別の社員から、また道路も一緒に歩いた別の社員から、
聞きました。
神様の働きにいかに気づいていない俺、そしてそれをはっきりと気づかせて下さる神様。
にぶいヒトにはにぶいヒトなりに教えてくださるのですねー。
ありがたやありがたや。





筋肉ダイジェストin摂理

明け明けましておめでとうございます明けまして。(・・・のネタぱくり)

本年も筋肉とピアノを結びつける、いやちがった、摂理のナマナマしい中身を知って楽しんでもらえたらというこのブログ、どうぞよろしくお願いいたします

ブログとしてはようやく1年になりますね。そして、昨年12月でついに摂理に来て10年という歳月になりました。
あまりに感謝でなりません。というのも、神様のもとに生きる人生の道というのを知り、決心した道を変えることなく生きていられているのですから。
最近も親の宗教の講話(摂理でいう御言葉)を聞いたり、神社で神主さんにいろいろと聞いたりしていました。
まぁ通じる話ですね、基本どこも。 ただ霊まで通じず、悟りが深まることは特にないですが。
どっちかというと、破魔矢、熊の手、お守り、おみくじ・・・いい商売してますわ、ははは。
「行動は動いたときに実践というが、心は思ったときに実践だ。神様は心をみる。まずは考え方を変えなさい」

なかなかこういう話に出会わないですなー。信仰って話はよくでますが、神様とつながるってのは現代人にとっては認識的に難しいものですよね。

さて、お粗末ながら私と神様との出会いのデレデレ馴れ初めを超ダイジェストで書いてみます。
赤裸々すぎてつまずく人もいるかも。
私の人生目標は「摂理の屋久杉」。
傷だらけでも倒れずに神様の歴史を語るために生きる天然記念物。

あなたは神様感じますか?救世主(キリスト)必要と思いますか? 私には必要でした。

0歳〜11歳 親に連れられてしばしば金光教会に通う。このときの頭は、「正座していい子にしているとお菓子をもらえる」 なのでわりと楽しみにいっていた。神様眼中になし。

12歳 地元の学校が不良で有名な中学校であり、行きたくなかったのと、友達とのノリで塾にいたことから、中学受験を試みる。 このとき初めて、まともに神様を意識した。あらゆる手段で神様に合格を祈願した。結果合格。感謝したのち、またすっかり忘れる。

13歳〜16歳 多感な中学生、高校生。楽しい日々。 この頃から筋トレにハマり黙々と筋肉をつけ始める。肉が栄えてくると同時に神様はどんどんと遠くなる。
実際この頃は、よく「神様は弱い人間が頭のなかで想像で作り出した存在ではないか」と考えていた。

17歳 倫理の宿題として、殺人者の心理に関する本を読んで考察文を書いた。その中で、家庭がどんどん崩壊していく以上、どこかに模範となる存在、つまり原点である神様的存在がいないと人類はすでに滅びていた、またはこれから滅びていくだけではないか、という思いがでてきた。

18歳 大学受験で、またしても狂わんがごとく神頼み。結果合格。感謝して、また存在おさまる。

19歳 大学に入り、人間として器の小ささ、むなしさ、愛情の枯渇などを感じ、人間磨きがしたくて、アメフトを始めてみる。しかし時間の使い方に疑問を感じ、3ヶ月で退部。また授業等で仏教を勉強。その後、統一教会に勧誘され、合宿等に参加。むこうの御言葉を学び、ボスの存在を知る。
しかしいろいろな面でしっくりこず(別の日記参照)脱会。
夏は無銭ヒッチハイクの旅に出て、人間の限界時の醜さをまざまざと見た。
そして10月より摂理で学び始め、12月に修了。終わったはいいが、なにもわかっておらず、ここからが大変。

20歳 メンバーとして走り出すも、神様がよくわからず、まずすぐに一緒に走る女性に情をかけすぎて好きになってしまう。生きるか死ぬかのふるいにかかり、なんとか悔い改めに成功し、残る。
旅に飛び出したりしながら、聖書と向き合ったりしてみる。

21歳〜22歳 合宿や芸術祭等、さまざまな経験をする中で、すこしは祈れるようになり、神様はいるのではないかと感じれるようになっていく。霊で生きることの喜びの味をすこし感じてきた。

23歳 誕生日のあたりで、迫害者のAさんと接触(一通のメール神話参照) キリストについてぜんぜんつかめていなかったことが発覚。そこまでにつかんできた神様を頼りに、なんとかイエス様に導いてもらい、神様ごと捨てることから守られる。ここでようやく、キリストの大切さを実感する。

25歳〜 社会人になり、世の荒波にのまれ、またしても死にそうになる。ここで改めて日曜や礼拝に出ることの価値を大きく感じるようになる。
また同時に、学生のときにやっていたことがぜんぜんできなくなり、「俺ってこんなもんかよ」と肉の部分のできなさにへこみ、何度も自暴自棄しかける。しかし、神様はそんなときに優しく支えてくださいました。「でも、今切り替えて学ぶしかない!」と立ち直らせてもらいました。

このように、神様との道のりは何度も離れてしまいそうになりながらも、現在に至ることができました。
同じ道を歩める人もいなければ、同じ道を二度歩める自信もありません。

ただ、時間はかかったとしても、若いうちに神様を知ってこれたこと、そこに充実感があるし、
神様に向かわなかったら得られなかったことを得てこれてきていることが、とても幸せです。

神様、ありがとう。

(この日記をみて、多くの人が希望をもって最後まで走ってくれたらいいな♪)

イエス様は恋人?

今宵はクリスマス・イヴ♪

このページをみる人に幸せと悟りがみちあふれますように

今日はイエスさまをお祝いする日。ひとりでウキウキひとり分のケーキを買っちゃいました。
客観的にみると・・・いろいろ想像したくなるシチュエーションかも(^^;)

クリスマスはイエスさま(キリストは名前ではなく救いぬしの意味でーす)に感謝して誉めたたえる
日です。

そんなイヴの今日、イエスさまからのプレゼントがありました。

ぼくの上司が、社長の金銭の汚職を発見し、それを何人かで摘発した。
それを聞いた社長が、一度はその内容に同意し、謝罪と共に罪を清算するといった。

ところが、数日後、摘発した数人を「職権を侵害した。自分は全く問題を行っていない」等の
セリフとともに、上司ともども免職扱いにした。

正義を貫いた上司。 それをことごとく退け、立場を免職に追いやらせた社長。

しかし、その上司と数人を、直接みていなかった筋肉は、なんと上司たちが過度に
発言して、問題を起こしているようにみえていた!!それは、まさに社長の情報操作による。

今日、24日まさにこの事実を知った。ユダヤ教徒に責められ十字架につけられたイエス様、そして筋肉はそれを知らずにわけもわからず迫害していたユダヤ教徒と同じだ。なんて人間はわからないと過ちを犯すものなのか。
この経験をして、上司に対する謝罪の心と、なんともいえない悔しさ、苦しさを受けた。
社長に対しては、イエス様が抱いていたような、哀れみの心さえわいた。
イエス様がこうしてわからない人々に迫害されたのか。
という当時の状況をリアルに感じた。同じことが起こりえるのだと。

きちんと教えてもらえてよかったです。天に感謝です。

みなさん、インターネット芸術祭をみてみてください。本日と明日までの”限定番組”です。
いろんなアートが心を満たしてくれます。
http://www.setsuri.com/















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